ロリコン野郎のひとりごと

無職、引きこもり、ロリコン、生活保護受給者の変質者(30代前半)が書くブログ。2024年夏にこの世から去る予定。

友人はほとんどいない

   友人はほとんどいない。

友人は2人だけ

 今いる友人は施設にいた時に一緒に生活していた1学年下の男1人と小1~小5の時に近所に住んでいた元同級生の男1人だけである。

 それらの友人とも、大人になってからはほぼ関わっていない。

 今いる友人と関わることはもう無いと思う。

小学生の時から友人が少なかった

 小学生の時から友人が少なかった。

 他の子とコミュニケーションをとるのが苦手だったからである。
 幼稚園の時から人と話すのが苦手だった。

 本音を口にすることのハードルが高かったのも友人が少なかった理由である。
 幼稚園の時から、自分が変な子だと気づいていたから、隠したい自分を作り出し、家族以外の人と本音でやりとりするのが難しかった。それに、気にしやすい性格だったため、他の子から変に思われるのを避けたかった。

 変な子だが、変に思われるのを避けたいとなると、他の子と親しくなるのは難しい。 

 親しくなればなるほど、自分が変であることを知られてしまうからである。

小1~小5の時の友人の数について

 小1~小5の時は仲の良い子が6、7人程度いた。
 うち、友人は3人程度(全員、家の近所の子)だった。

 小1~小5の時は多少変でも他の子や他の人から大目に見てもらえ、変であることをあまり気にせずに済み、友人を作ることができた。
 それと、近所に住んでる子は学校以外でも時々関わる子のため、本音を隠す必要もあまり無いと思い、本音でやりとりしやすかった。
 友人と書店やおもちゃ屋に行ったこともあった。

小6~中3の時の友人の数について

 児童心理治療施設に入っていた小6から中3の時は仲の良い子が6人程度いた。うち、友人は4人程度だった。

 俺が入っていた施設は変な子が多い施設で、なおかつ変人に寛容な子が多い施設だったから、自分をさらけ出すことができた。
 施設では他の職員や他の子と本音でやりとりする機会も多かった。
 退屈な施設生活だったからか、友人とよく遊んでいたし、遊ぶのも楽しかった。

中3の3月末で施設を卒業した後、友人が2人だけになった

 中3の3月末で施設を卒業した後、友人がほとんどいなくなった。

 小6で施設に入ったことで小1から小5の時の友人とは疎遠になっていたが、施設を卒業したことで施設にいた時の友人とも疎遠になった。

 小5の時の友人のほとんどや施設にいた時の友人のほとんどが知人へとランクダウンすることになり、残った友人は施設にいた時に一緒に生活していた1学年下の男1人と小1から小4の時に近所に住んでいた元同級生の男1人のみになった。

 友人がほぼいなくなって、悲しい気分になった。

 だが、俺は内気で人見知りで自分から友人を作れないタイプである。

 だから、施設を卒業して友人がほぼいなくなったが、「友人がゼロにならなくてよかった」と思うことにした。

 施設にいた時に一緒に生活していた1学年下の友人とは俺が高校生の時に一度だけ会った。俺が高校生の時に会った時は一緒に話をしたり、無修正AVを一緒に見たり、一緒にカラオケに行(い)ったりした。
 話は恋愛の話や高校の話や将来の話をした。
 友人は工業高校に進学したと言っていた。電気工事士になるとも言っていた。彼女がいたが、別れたとも言っていた。

 小1から小4の時に近所に住んでいた友人1人とは高校生の時に一度だけ会って話をした。
 話は小6の時の話や高校の話や将来の話をした。 
 俺が小6で施設に入って学校からいなくなって、悲しんでた同級生も7人ぐらいいたらしい。

 小1から小4の時に近所に住んでいた友人は偏差値の高い高校に進学していた。将来はトラックの運転手になると言っていた。