人は自分と他人の勝敗、優劣、善悪などを比べて、自分の価値を見出している。
人は自分の価値を見出す時に自分と比べる対象は都合の良い他人を勝手に自分が選んでいる。
人は自分の価値を見出す時に自分より負けている他人、自分より劣っている他人、自分より悪い他人を選んで自分と比べて、自分が勝っていると思ったり、優れていると思ったり、自分が善いと思ったりしている。
弱者はさらに弱い弱者を批判したり叩いたり見下したりして自分の価値を見出すこともある。
なお、価値のない人間なんていない。
すべての人は人より良い所を持っている。
人は誰かより勝っていて、誰かより優れていて、誰かより善い。
ただし、人の良さは良さを認める人間がいないと価値があっても価値のないものとされる。
そして、人は誰かからは価値のあるものとして扱われている。家族、友人、恋人、結婚相手、知人、そのほか他人など誰かからは価値のあるものとして扱われている。
人は批判されたり、叩かれたり、見下されることもあるが、批判されたり、叩かれたり、見下されるということは批判する価値や叩く価値や見下す価値があると認められた証拠である。
相手にされるということは相手にするほどの価値があると思われた証拠である。
価値のない人間は批判されることも叩かれることも見下されることもなく、相手にされない。存在を認識されなかったり、存在を否定されたり、無視されたりもする。どうせ相手にしても無駄だろうと思われて相手にされないこともある。
人と比べずに自分の価値を見出したい。
頑張ってる自分、努力してる自分、人の役に立ってる自分などの自分に価値を見出したい。
それに、他人と勝敗、優劣、善悪などを比べて自分の価値を見出そうとしなくても、楽しさや幸せや満足さを感じることはできる。
他人と勝敗、優劣、善悪などを比べて自分の価値を見出すより、もっと楽しみや幸せや満足できることや好きなことを見つけたい。
おいしいものを食べられること、平和に生きられること、健康に生きられること、目が見えること、五体満足なこと、衣食住が満たされてること、病気やケガの時に医療を受けられることなど小さな幸せに満足したっていいだろう。
人として生まれ、いろんな経験ができて、いろんな気分を味わえ、いろんな思い出を作ることができることに幸せを感じたっていいだろう。
自分の価値を他人から評価されることを気にするより、楽しみや幸せや好きなことを見つけたい。